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米国海軍軍令部長室 第2次世界大戦作戦日誌

  米国国立公文書館から収集した米国海軍軍令部長室第2次世界大戦作戦日誌99簿冊を公開しました。(平成22年1月14日)

  同資料群は第2次世界大戦中の海軍各部隊および艦船の作戦日誌で、日毎の活動内容や組織編制などが記されています。


  報告書は、「司令部」「艦隊」「機動部隊」「艦船」「飛行部隊」などの部隊階層順、さらにユニット名のアルファベット順で保管されています。

   当館では、沖縄戦に関係した米部隊・組織のうち、同資料群の階層のうち「太平洋司令部」「艦隊」「機動部隊」などを中心に収集し、「艦船」については空母に限って収集しました。

≪部隊・組織・艦船リスト≫
太平洋司令官(CINPAC)
第3艦隊(Third Fleet)
第5艦隊(Fifth Fleet)
米太平洋艦隊沖縄海軍部隊
サイパン島司令官
第51.6機動部隊
第53.8機動部隊
米太平洋艦隊航空部隊隷下前進部隊
前進地上基地航空部隊
第5空中写真飛行大隊
米国海軍沖縄作戦基地
沖縄第4地雷集積庫
USS Bataan (CVL-29)
USS Belleau Wood (CVL-24)
USS Bennington (CV-20)
USS Bunker Hill (CV-17)
USS Cabot (CVL-28)
USS Chenango (CVE-28)
USS Enterprise (CV-6)
USS Essex (CV-9)
USS Fanshaw Bay (CV-70)
USS Franklin (CV-13)
USS Hancock (CV-19)
USS Hoggatt Bay (CVE-75)
USS Hornet (CV-12)
USS Independence (CVE-22)
USS Intrepid (CV-11)
USS Langley (CVL-27)
USS Lexington (CV-16)
USS Makin Island (CVE-93)
USS Monterey (CVL-26)
USS Princeton (CVL-23)
USS Randolph (CV-15)
USS Salamaura (CVE-96)
USS San Jacinto (CVL-30)
USS Sangamon (CVE-26)
USS Santa Fe (CVL-60)
USS Santee (CVE-29)
USS Sargent Bay (CVE-83)
USS Shamrock Bay (CVE-84)
USS Shangri-La (CV-38)
USS Suwannee (CVE-27)
USS Tulagi (CVE-72)
USS Wasp (CV-18)
USS Windham Bay (CVE-92)
USS Yorktown (CV-10)
沖縄軍政府第B1分遣隊
沖縄軍政府第B5分遣隊
陸軍防空司令部
太平洋艦隊海兵部隊第16対空砲大隊
第10軍戦術航空部隊司令部

 

【略語】
CV  航空母艦
CVL 小型空母
CVE 護衛空母

 

 

◆◆◆◆◆ハイライト資料(Highlights)◆◆◆◆◆

 ① 軍政活動報告、1945年9月~12月
【資料タイトル】(00503-017) US Naval Operating Base, Okinawa, 15 Jul-31 Dec 1945
【資料コード】0000088360    PDF画像≪ここをクリック

【資料解説】
同報告書には、次のような内容が記述されています。

 

≪民間人と米兵との接触≫
  米兵が禁止されている民間人収容所区域を徘徊することが多くなったため、司令部は“観光”目的での兵隊へのパスの発行は中止する決定を下した(9月)。また、主に食糧不足のためであったが、軍施設区域へ出て行く民間人が多くなり、10月は一日125人が規律違反で拘束された(10月)。

 

≪朝鮮人慰安婦≫
朝鮮人慰安婦の管理が各地区で問題となり、約150人を送還する計画を立て(10月)、11月には引き揚げが完了した(11月)。

  

② 沖縄島軍政府第B5分遣隊、1945年~8月
【資料タイトル】 (01600-002) Okinawa Military Government Detachment, B–5, 1–31 May 1945
【資料コード】0000088412    PDF画像≪ここをクリック

【資料解説】
  宜野湾野嵩地区配属された同分遣隊報告書には、次のような内容が記述されています。

 

  野嵩地区の民間人は壕に隠れている住民の救出に駆り出された。その説得は困難を極めたが、いったん壕から出てくると問題はなかった。救出後、彼らは一軒家に20~40人単位で収容された。

 

  4月1日の米艦砲射撃の際、読谷飛行場の防衛隊から逃げてきたという兵隊5人が野嵩収容所の知人を訪ねてきた。その一人は右手に重症を負っており、その切断手術のあと、憲兵隊に捕虜として引き渡された。

 

  米第77師団CIC分遣隊から毎日2、3人以上が野嵩収容所を訪れて情報収集を行っている。わずかなケースを除いて住民から日本軍の戦術情報を入手するのは難しくなく、米軍の手助けをするのに良心の呵責は感じていないようだった。尋問の際、日本への敵意を示すことにはためらいはあるようだったが、米軍による統治を望む声は多かった。それはおそらく経済的な側面からであろう。

 

  衛生対策の一環として、27家族の代表が集められ、黒板を使って、病原菌拡散の原理やトイレ建設の必要性などが解説された。その後、広場の近くにサンプルとして設置された便所の見学が行われた。皆関心を示し、その後2、3日は方針に従おうとする積極的な態度が見られた。家屋、トイレなどの検査が毎日行われ、警告が発せられるケースもあり、警告後も満足な改善が見られなければ、罰則が科せられた。 

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