沖縄県公文書館 > 資料紹介 > あの日の沖縄

公文書館通信

あの日の沖縄

1978年7月30日、沖縄の交通方法が変更されました。沖縄の交通方法は、米国施政権下から33年にわたって米国式の車両右側走行でしたが、日本復帰から6年後、他都道府県と同じ左側走行となりました。
もっと見る
no image
2000年7月21日、名護市部瀬名(ぶせな)の万国津梁館で九州・沖縄サミット首脳会合が開幕し、23日まで3日間にわたって開催されました。
もっと見る
1975年7月20日、沖縄島北部にある本部町で「海-その望ましい未来」をテーマに沖縄国際海洋博覧会が開幕しました(開会式は7月19日)。1976年1月18日までの会期中、350万人が来場しました。
もっと見る
1954年7月4日、香港籍のローヤル・トレーディング・シンディケイト株式会社(以下「ローヤル・トレーディング」)が、コザ市(現・沖縄市)で商業施設「プラザハウス」を設立しました。
もっと見る
事故の報を受けた屋良は那覇から石川へかけつけ、教育の場である学校が阿鼻叫喚の地獄と化した惨状を目の当たりにして、「これも基地なればこそ起こる事だ」と深い嘆きを日誌に記しました 。
もっと見る
1959年6月30日、石川市(現・うるま市石川)の宮森小学校とその付近の民家に米軍ジェット機が墜落炎上しました。
もっと見る