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63年前の1945(昭和20)年8月20日、石川市(現 うるま市石川)に沖縄諮詢会(おきなわしじゅんかい)が設立されました。
1945年8月、戦闘終結が近づくにつれ、軍政は「戦闘」から「駐留」の段階に移りました。
米軍政府は、安定的な中央統治機構の整備のため、沖縄本島住民代表で構成する諮問機関設置を急ぎました。
ポツダム宣言受諾により日本の無条件降伏が決定した1945年8月15日、米軍政府は、全島39カ所の収容地区住民代表124名からなる仮沖縄人諮詢会を招集し、その中から沖縄諮詢会候補者24名を選びました。さらに8月20日の選挙で、志喜屋孝信(しきや・こうしん)委員長以下15名の委員が選出され沖縄諮詢会が設立されました。
1946(昭和21)年4月24日に「沖縄民政府」へ移行するまでの約8ヶ月間、沖縄諮詢会は米軍政府と住民との橋渡し役として、食糧配給や土地所有権認定措置法案、戸籍法の整備、旧村への住民移動、教育・公衆衛生、人口調査、初めて婦人参政権を認めて実施した市長および市議会議員選挙など、行政の基盤となる重要事業に取り組みました。
終戦直後、沖縄の中心地だったうるま市石川に焦点をあて、現存する歴史的建造物とあわせて当館所蔵資料を紹介します。
うるま市の高原展望台(標高203メートル)から見た仲泊(東シナ海側)から石川間の景色です。東シナ海と太平洋を一望できます。この間の陸幅は約4キロメートルです。(カラーの風景画像は、全て2006(平成18)年3月13日撮影)
石川地区難民収容所跡
現在の石川の街並み。ここに沖縄最大の石川地区難民収容所がありました。戦前の石川(字石川)は1,800人程の人口でしたが、終戦直後には3万人以上の人がいたといわれています。
「沖縄最大の収容所のある石川市で開かれた演舞会に集う1万8千人の人々」(米軍の英訳より抜粋)
1945年5月(注記:写真日付は1945年5月だが、原文では6月11日)
『米海兵隊写真資料5』CD資料コード:0000013384 写真番号:74-24-3(124673)
沖縄諮詢会堂跡
沖縄諮詢会堂跡です(左画像)。戦火を逃れた民家を利用しました。
右画像は沖縄諮詢会の委員です。志喜屋孝信(しきや・こうしん)委員長(前列左から3人目)以下15人の委員で構成されていました。
『軍政期の写真・スライド』より 閲覧用資料コード:0000036621
『沖縄諮詢会委員会会議録1其の2 1945年8月1日から9月30日』閲覧用資料コード:0000061090
沖縄諮詢会と米軍政府との議事録です。
ウルマ新報社跡
沖縄諮詢会堂跡の近くにある「ウルマ新報社」跡です。現在は駐車場となっていますが、ここで戦後初の新聞が発行されました。
「ウルマ新報社職員」『First Anniversary Military Government under U.S.Army Control』より 閲覧用資料コード:0000025601
「ウルマ新報」『ウルマ新報 1945年8月から1949年12月』より 閲覧用資料コード:T00019763B
1945(昭和20)年7月25日、米占領軍の情報宣伝機関誌として、石川で戦後初めてガリ版刷りでタイトル無しの新聞が無料配布されました。その後、8月1日の第2号から『ウルマ新報』になりました(画像は第4号)。また、1946(昭和21)年5月26日から題字をひらがなに改め『うるま新報』になりました。
1947(昭和22)年4月から「うるま新報社」は民間企業となり、新聞も有料になりました。1948(昭和23)年夏に本社を石川から那覇に移し、1951(昭和25)年9月10日、サンフランシスコ平和条約締結を機に『琉球新報』と改めました。
ウルマ新報創刊当時の社長は島清(しま・きよし)。新聞名の変遷とともに、社長職は瀬長亀次郎(せなが・かめじろう)、池宮城秀意(いけみやぐすく・しゅうい)、又吉康和(またよし・こうわ)らへと引き継がれました。
東恩納博物館跡
東恩納博物館(ひがおんなはくぶつかん)跡です。ほぼ当時のまま残っています。
1945年8月に、海軍軍政府教育担当将校のハンナ少佐らは、焼け残った文化財を収集し、散逸を防ぐとともに、沖縄の歴史文化を米軍人・軍属に紹介するため、石川市東恩納の民家に「沖縄陳列館」を設けました。
その後、沖縄陳列館は1946(昭和21)年4月に沖縄民政府に移譲され「東恩納博物館」と改称されました。
「沖縄人案内の説明に耳を傾ける第1空軍カメラマンのゲラーシ三等軍曹」(左画像)と「東恩納博物館の中庭に掛かっていた円覚寺梵鐘」(右画像)(英訳より抜粋)
『米空軍コレクション 第二次大戦シリーズ07』(CD資料コード:0000013376 写真番号:15-54-2(A4516)(左画像)、15-52-4(A4510)(右画像)
1949(昭和24)年に首里市立郷土博物館が開館します。1953(昭和28)年、東恩納博物館は首里市立郷土博物館と統合され、沖縄民政府立首里博物館(沖縄県立博物館の前身)となります。
『琉球政府中央教育委員会の会議録 第4回、6回、7回、9回 定例・臨時』1952年11月29日から1953年4月20日 閲覧用資料コード:0000073736
議案「東恩納博物館を首里博物館に合併する件」についての議事録があります。
沖縄民政府知事公舎跡
1946(昭和21)年4月24日、沖縄諮詢会が解消され沖縄民政府が設立されます。これは沖縄民政府知事の公舎跡です。戦前の民家を利用しました。沖縄諮詢会の志喜屋孝信委員長が沖縄民政府知事になりました。
「沖縄民政府会議録5 1946年5月から7月」 閲覧用資料コード:R00159005B
沖縄諮詢会および沖縄民政府が設置されたころの沖縄は、食料品や日用雑貨にもこと欠きました。会議録からは郷土を立て直すためにあらゆる施策が講じられたことがうかがえます。
戦後教育発祥之地の石碑
うるま市立城前小学校内にある戦後教育発祥之地の石碑です。米軍は1945年4月1日の沖縄島上陸後、4月3日には石川を占領しました。戦闘が激しくなる中、この地では早くも戦後生活が始まり、子供達への教育も始まりました。
今回紹介した資料は、当館で閲覧利用できます。(資料の一部については、個人情報につき利用が制限されるものがありますのでご了承下さい)、
また、うるま市立石川歴史民俗資料館には、沖縄戦後の政治・経済・教育・文化・生活の発祥地ならではの資料、写真が展示されています。
(所在地)沖縄県うるま市石川曙2丁目1番55号 (電話)098-965-3866
【参考引用文献等】
・『沖縄県史料 戦後1 沖縄諮詢会記録』1986年 沖縄県立図書館史料編集室 閲覧用資料コード:G00001153B
・『沖縄県史料 戦後2 沖縄民政府記録』1988年 沖縄県立図書館史料編集室 閲覧用資料コード:G00001156B
・山城善三・佐久田繁『沖縄事始め・世相史事典』1983年 閲覧用資料コード:T00001668B
・『沖縄大百科事典 上巻』1983年 沖縄タイムス社 閲覧用資料コード:T00000187B
・「2005年度 第3回 沖縄県地域史協議会研修会巡見資料」2005年 うるま市石川歴史民俗資料館
注)ここで使用した現在の風景画像は、2006(平成18)年3月13日の「2005年度 第3回 沖縄県地域史協議会研修会」巡見の際に、財団法人沖縄県文化振興会公文書管理部が撮影しました。
