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琉球政府文書

市町村の振興計画、合併及び名称変更に関する書類 (2) 市町村合併促進審議会

総務局行政部 地方課の「市町村の振興計画、合併及び名称変更に関する書類」から、市町村合併促進審議会についての資料を紹介します。

市町村合併促進審議会は、1956年10月20日に公布された「市町村合併促進法」を根拠法として設置されました。審議会の委員は、市町村議会議長、市町村長、琉球政府職員、学識経験者のなかから行政主席により任命されました。主な委員に西銘順治、大山朝常などがいました。審議会の権限は、行政主席の諮問や求めに応じて、市町村合併に関する計画の策定について調査、審議すること、また、市町村合併についての啓発、宣伝、勧奨、斡旋を行うことと定められました。

 

市町村合併促進審議会会議録

『合併促進審議会に関する書類 1959年~1960年』(資料コードR00002606B)には、1959年6月から1960年3月にかけての合併促進審議会の会議録が収められています。

市町村合併審議会は、1960年2月23日付の行政主席の諮問を受け、合併ブロックの検討に入りました。1960年3月7日の会議では、出席委員によって、いくつかの合併ブロック案が提示されています。

ここで注目されるのは、市町村を分割することを前提として、合併が構想された点です。分割の対象となった市町村は、北谷村、恩納村、北中城村、中城村、金武村で、恩納村山田、真栄田、塩屋、嘉手納村、読谷村、北谷村砂辺を合わせて1ブロックとする、あるいは、恩納村仲泊、冨着、谷茶、石川市、金武村屋嘉を合わせて1ブロックとすることなどが提案されています。

市町村を分割する構想については、「村を分割する区分の仕方は問題が多過ぎるので、一応村単位に組合せて、部落を区分することは、具体化したときに考えた方がよいと思う」との反対意見もあり、この段階ではひとまず保留されることになりました。

このほか、「全体的にまとめるためには、那覇市を中心とした首都圏の拡大を図り、それに含まれる町村を決めてから、南部、中部、北部の構想を練ったら、割合いうまくいくと思いますが、どうでしょうか」との発言も注目されます。那覇市といえば、1957年に真和志市と合併しましたが、ここではそれにとどまらず、那覇市、浦添村、西原村、豊見城村、南風原村、与那原町の合併による「首都圏の拡大」が構想されています。

 

市町村合併計画

『市町村合併促進審議会関係書類 1960年度~1961年度』(資料コードR00003333B)に収められる1960年3月30日「市町村規模の適正化について答申」は、審議会が行政主席宛に答申した文書です。行政主席に対して、審議会策定の合併計画を実現するよう勧告している内容となっています。久米島、宮古諸島、八重山諸島以外の離島の自治体については、「その地理的性質上政府として別途の振興策を考慮するよう勧告致します」とされ、合併の対象外とされました。

審議会が行政主席に勧告した合併ブロックは、次の「合併計画案」に見る通りです。沖縄本島、久米島、宮古諸島、八重山諸島の市町村を対象に、14の合併ブロックが計画されています。

『市町村合併関係庶務に関する書類 1962年』(資料コードR00002615B)には、琉球政府内務局地方課が作成した「市町村合併計画および各ブロック条件調」が収められています。そのなかの「市町村合併計画図」からは、「平成の大合併」ともまた違ったかたちの、1960年代の市町村合併計画の姿を見ることができます。