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琉球政府文書

1946~49年の往復文書(4)軍関係者への美術品の販売

1946~49年の「対米国民政府往復文書」(通称、往復文書)から、沖縄で制作された美術品の軍関係者への販売に関する文書を紹介します。

1945年8月、軍政府の諮問機関として沖縄群島に沖縄諮詢会が設置されました。軍政府は、琉球の伝統文化の保護と育成をはかるため、この沖縄諮詢会に文化部を設置し、そこに参集した芸術家たちに琉球文化の復興を担わせました。

さらに、沖縄諮詢会を引き継いで1946年4月に発足した、沖縄民政府の文化部に芸術課が設けられ、画家たちが「美術技官」として雇用されます。これらの画家たちは、公務員として、展覧会の開催や後進の指導、米軍将兵のための絵画やクリスマスカードの製作などにあたりました。

 

土産品店・ギフトショップの設置

『対米国民政府往復文書 1947年 受領文書』(資料コードR00165448B)から、軍関係者への沖縄の土産品や美術品の販売に関する文書を紹介します。

1947年5月15日付の「Souvenior Stores」は、軍政府副長官が沖縄民政府知事に宛てた文書です。

沖縄で生産された土産品を、「現地住民による店」(native stores)を通じて、軍関係者に販売する計画について記されています。

軍政府の管理のもとで、沖縄民政府工業部が運営する、「Souvenir Store/土産品店」を設置するとしています。

1947年6月17日付の下の文書「Souvenir Business」もまた、軍政府副長官が沖縄民政府知事に宛てたもので、軍政府の後援(the sponsorship)のもとで、沖縄民政府工業部が運営する「Okinawa Gift Shop/オキナワ・ギフト・ショップ」について述べています。「Okinawa Gift Shop/オキナワ・ギフト・ショップ」の設立が、「琉球の自由貿易再建の一歩となる」(a step in the reconstruction of free trade for Ryukyuans)としています。

   

ここでは「Okinawa Gift Shop/オキナワ・ギフト・ショップ」を、琉球で制作された美術品を取り扱う「唯一の合法的な販路」(the only authorized outlet)と定めていますが、実際には、そこを通さずに美術品が販売されることもあったようです。上の文書から約半年後の1947年12月10日付の下の文書「Works of Art」は、こうした事態を軍政府が問題視したものです。

ここでは、美術品を販売するために「民間業者と契約している」(contracting with private parties)画家がいることが指摘されています。

そして、「Okinawa Gift Shop/オキナワ・ギフト・ショップ」を「唯一の合法的な販路」とした上の文書に言及し、画家たちがそれに従うようなしかるべき措置をとることを、沖縄民政府の知事に求めています。

 

ギフトショップでの美術品の販売

1947年6月23日付「Sale of Okinawan Arts」は、「Okinawa Gift Shop/オキナワ・ギフト・ショップ」で販売される59の絵画についての文書です。

  

4つのギフトショップ(軍政府、泡瀬、嘉手納空軍基地、ライカム)ごとに、そこで販売される絵画の値段が定められています。名渡山愛順や山元恵一、玉那覇正吉といった沖縄の美術界を代表する画家たちの名前がみられます。

 

クリスマスカードの製作

沖縄の画家たちは、自らの作品を販売するだけでなく、米軍人用のクリスマスカードの作成にもあたりました。

1946年9月14日付の下の文書「沖縄人画家動員に関する民政府への指示」(『対米国民政府往復文書 1946年 受領文書』資料コードR00165446B)は、「肉筆クリスマスカード」の作成に「沖縄人画家」を「動員」するよう沖縄民政府に求めています。11月1日までに、2万枚のクリスマスカードを作成する計画で、これが終わるまで「他の職務は凡て之を中止すべし」とされています。

 

1948年に沖縄民政府の文化部が廃止されて「美術技官」という公職がなくなると、画家たちの多くは首里につくられた美術共同体「ニシムイ」に新たな活躍の場を求めていきます。

<参考文献>

A.P. ジェンキンズ「復興期の沖縄美術市場――公文書に見る米軍の管理・統制 1947~1948」『名渡山愛順が愛した沖縄 名渡山愛順展』(沖縄県立博物館・美術館、2009年、90-96頁)