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琉球政府文書

毒ガス撤去に関する書類 (1) 毒ガス撤去対策本部

総務局 毒ガス撤去対策本部の「毒ガス撤去に関する書類」は、琉球政府に設置された毒ガス撤去対策本部が作成・収受した133簿冊から編成されています。

1969年7月18日のウォール・ストリート・ジャーナルは、「神経ガス事故」という記事を掲載し、沖縄の米軍基地内で致死性の高いVX神経ガスが漏れる事故が発生したと報じました。沖縄では抗議声明、撤去決議、「毒ガス兵器の即時撤去を要求する県民大会」が相次いで行われました。

1970年12月11日、米軍は「レッドハット作戦」を発表、沖縄に貯蔵される毒ガス兵器を米国領のジョンストン島に移送することを明らかにしました。

1971年1月13日に第1次毒ガス移送が行われ、同年7月15日から9月9日までの56日間にわたって、第2次毒ガス移送が行われました。

 

毒ガス撤去対策本部の設置

1970年12月16日、「毒ガス撤去対策本部設置要綱」(1970年訓令第51号)に基づき、毒ガス撤去対策本部(以下、「対策本部」と略記)が、琉球政府総務局に設置されました。

 

 

 

 

 

 

『雑書綴』(R00004791B)

対策本部の所掌事務は、1. 毒ガス撤去に際しての総合的な対策に関すること、2. 毒ガス撤去に伴う県民の保護、安全措置に関すること、3. その他必要な事項と定められました。

対策本部の本部長に行政主席、副本部長に行政副主席、本部員に行政各局長及び警察本部長が担当することとなりました。また、対策本部には専門委員を置くことができ、専門委員は、関係行政機関の職員や学識経験者のなかから行政主席が任命することとされました。なお、対策本部の事務は、総務局渉外広報部渉外課が担当することとなりました。

以下に、対策本部が作成した2つの資料を紹介します。

 

安全対策要請書

1971年7月~9月の第2次毒ガス移送に向けて、対策本部は、USCAR高等弁務官宛に「毒ガス撤去の際の安全対策に関する要請書」(1971年4月30日)を作成しました。

1971年1月13日の第1次移送で撤去されたマスタードガス150トンは、沖縄に貯蔵される毒ガス兵器の総量1万3千トンのわずか1%に過ぎないとし、マスタードガス、GBガス(サリン)、VX神経ガスの完全撤去を「急務中の急務である」としています。同時に、毒ガス撤去の際には、「住民に被害が及ばぬよう万全の対策を講じ」、「完全の安全性を確保すること」が「絶対要件」でなければならないとしています。

米軍に要請している具体的な安全対策の一つに、米軍機の墜落による爆発事故を避けるためであるとして、「輸送中の輸送車両群および天願桟橋の上空の飛行は絶対さけること」との文言も見ることができます。

このほか、「第2次以降の毒ガス移送に際して本土政府に要請する事項」、

「第2次以降の毒ガス移送に際して米国政府に要求する事項」、

「琉球政府の当面とるべき措置」なども見ることができます。

『化学兵器毒ガス撤去関係資料綴 第2次移送以降 第一次含む』(R00004737B)

 

毒ガスについて-24の質問に答える-

先ほどの安全対策要請書が、米軍向けに作成された資料であることに対して、この「毒ガスについて-24の質問に答える-」という冊子は、琉球政府が安全対策を立案するなかで、住民に向けて作成された問答集です。

「沖縄にある毒ガスはどんな種類のもので、それぞれいくらの量で、どんな性状をもっていますか」という質問項目では、マスタードガス、GBガス(サリン)、VX神経ガスの性状について説明されています。特にGBガス、VX神経ガスの毒性は高く、GBガスに1分間触れた例として、視野が薄暗くなる、焦点が合わなくなる、呼吸困難、嘔吐、けいれん、全身硬直、死に至るなどの性状が紹介され、GBガスの10倍の毒性を持つとされるVX神経ガスに至っては、皮膚に3~4滴触れただけで死に至ることなどが説明されています。

このほか、「万一、ガスもれが起った場合、どのような方法で処理するのですか」、「被害者が出た場合の救護活動はどうなるのですか」などの被害を想定したものから、

米軍が安全対策を守るかどうかといった問答まで用意されています。

このほか、沖縄に貯蔵されている毒ガス兵器の一覧表や、

「第2次毒ガス移送経路図」も見ることができます。

『毒ガスについて 24の質問に答える』(R00004756B)

 

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