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「沖縄観光のあゆみ」Web展示④

 所蔵資料展「沖縄観光のあゆみ」の展示資料をご紹介していきます。
 新型コロナウイルス感染拡大防止のため、当館は臨時休館となっておりますので、
 しばらくの間、HPで展示をお楽しみください。

■日本復帰後の沖縄観光

  1972年の日本復帰以降、沖縄への観光客は急激に増加しました。日本から沖縄への入域手続きや日本円の持出し制限がなくなったことや、日本の旅行代理店が団体旅行を企画して積極的に集客したことも要因と考えられます。
 日本政府の「沖縄振興開発計画」も、この流れを大きく加速させました。第一次振計は「余暇生活の充実と観光の開発」を掲げ、観光を沖縄の主要産業と位置づけました。これに基づいて、「沖縄国際海洋博覧会」の開催、「ホテル,旅館,国民宿舎」等の宿泊施設の整備、沖縄自動車道の建設などのインフラ構築を進め、観光産業の基盤を整備していきました。
 1975年、沖縄の日本復帰記念事業として取り組まれた沖縄国際海洋博覧会が、リゾート地・沖縄のイメージを形成したと言えるでしょう。海洋博のテーマは「海-その望ましい未来」でした。これまでの戦跡観光や免税ショッピング観光だけでなく、美しい海と空のもとで観光スポットを見て回る周遊型パターンが現れ、若者や新婚旅行のカップルも急増しました。
 1980年代初頭から航空会社が沖縄キャンペーンを展開し、「リゾート」「マリン・レジャー」「青い空とビーチ」などのイメージを打ち出し、日本国内の他地域と異なる沖縄の魅力をアピールして誘客に成功しました。

P32 沖縄国際海洋博覧会用地調査団視察  調査団を歓迎する住民  本部町

 

24 『海洋博会場用地選定資料』より 会場選定の基準地域別比較表

 海洋博準備室は、会場の候補地を本部半島、残波岬、糸満地区の3地区に絞り込んだ。自然、用地確保、旅客運送、将来への寄与などの条件を比較検討した結果、本部半島を有力地とした。本部半島の地域開発過疎化対策に役立ち、北部への交通体系拡充整備は沖縄の経済開発に大きく寄与すると考えられた。

 

25-1 『県出展関係』より 沖縄国際海洋博覧会沖縄県出展構想具体化計画

 沖縄県は、県内財界及び県民から資金を募り「沖縄館」を出展した。赤瓦の屋根やひんぷんを模した噴水で沖縄らしさを演出している。展示は「海やかりゆし」をテーマに、信仰や漁労、美術工芸、終戦直後の生活など8つのセクションで沖縄の歴史と文化を紹介した。

 

25-2 『県出展関係』より 沖縄国際海洋博覧会沖縄県出展構想具体化計画

 

28 『海洋博跡利用に関する書類』より 海洋博記念公園整備についての考え方

 沖縄県は、海洋博跡地の会場施設を中核として本部半島に国際的なリゾート・ゾーンを形成し、観光開発の拠点とするとともに、海洋開発研究など各種の研究教育の場として活用をはかることを基本に公園整備を推進することとした。

 

 

番号 展示資料件名 資料年代 出処情報

閲覧用資料
コード等

■日本復帰後の沖縄観光

P32

沖縄国際海洋博覧会用地調査団視察 調査団を歓迎する住民 本部町 1972年1月10日 琉球政府関係写真資料 145  040595

P33 

沖縄国際海洋博覧会で、名誉総裁として開会宣言する皇太子(現・上皇) 1975年7月19日  沖縄県文書  P00031351B

24

『海洋博会場用地選定資料』より 会場選定の基準地域別比較表 1972年1月23日 琉球政府通商産業局海洋博準備室 P00013030B

25

「県出展関係』より 沖縄国際海洋博覧会沖縄県出展構想具体化計画

1973年12月1日  沖縄県総務部沖縄国際海洋博覧会協力局計画調整室  P00013213B 
26

アクアポリス パンフレット類

1975年頃 沖縄県文化観光スポーツ部観光政策課 0000124267
27 アクアポリス ソーラーカート等写真綴 1987~1988年頃 沖縄県商工労働部観光リゾート局観光振興課 0000123684 
28 『海洋博跡利用に関する書類』より 海洋博記念公園整備についての考え方 1975年12月 沖縄県企画調整部企画調整室  P00019211B 
29 ダイナミックに旅する人の沖縄 観光ガイドマップ  1980年頃 沖縄県観光連盟 0000059689
30 おきなわ 沖縄本島 1978年頃 那覇市 0000095392 
31 Expo’75海洋博ポスター ややっ!声が出ますよ 驚きの海洋博 ポスター   沖縄国際海洋博覧会協会 G00022084B