沖縄県公文書館 > 資料紹介 > あの日の沖縄 > 1971年1月13日 第一次毒ガス移送

あの日の沖縄

1971年1月13日 第一次毒ガス移送

 この日、沖縄の米軍基地に貯蔵されている毒ガス兵器を、米国領内のジョンストン島へ向けて移送する作業が始まりました。

レッドハット作戦(毒ガス移送) 知花弾薬庫 1971年1月 沖縄市知花【0000112321/19-01-1】
 この毒ガス兵器は、1969年(昭和44)7月、沖縄の米軍知花弾薬庫施設内のレッド・ハット・エリアで発生した事故によって、その存在が明らかになったものでした。

毒ガス関係書類綴」 琉球政府毒ガス事務局 1969年7月18日【R00004825B】
 ウォール・ストリート・ジャーナールは、沖縄での致死性VX神経ガス放出事故を報じました。その和訳資料などがあります。
 毒ガス兵器の総量は1万3千トン。しかも米国外で配備されているのは沖縄だけとあり、住民に不安と恐怖を与えました。各種団体などの抗議声明や、立法院の全会一致による「毒ガス兵器の撤去要求決議」、各市町村議会の撤去決議、及び沖縄県祖国復帰協議会主催の「毒ガス兵器の即時撤去を要求する県民大会」が相次いで行われました。

毒ガス即時撤去要求、アメリカのカンボジア侵略反対県民総決起大会 1970年5月23日【0000108839 / 036170】
   毒ガス兵器の移送先はなかなか決まらず、米軍は1970年(昭和45)にようやくジョンストン島を選びました。美里村(現・沖縄市)の知花弾薬庫から具志川市(現・うるま市)の天願桟橋まで、移送路周辺の住民約5千人が避難する中、毒ガス兵器を積んだトラックが走りました。1月13日の第1次移送はその日で終了し、第2次移送は7月から56日間にわたって実施されました。

第1次毒ガス移送について美里村民と話し合う屋良朝苗行政主席 1971年1月
【0000108844/ 037566】

美里村(現沖縄市)キャンプヘーグ前に設置された琉球政府毒ガス撤去対策本部 安里積千代議員、屋良朝苗行政主席、喜屋武真栄議員ら 1971年 1月13日
【0000108844/ 037597】

写真左:レッドハット作戦 知花弾薬庫にある毒ガスを移送するトラック 1971年1月【0000108844 /037625】
写真右:レッドハット作戦(毒ガス移送) 天願桟橋からジョンストン島へ毒ガスを移送する船【0000112321 / 19-08-4】

左:「沖縄の毒ガス撤去に関する日本政府側へのアメリカ側の説明」 1970年12月11日【R00004869B
右:レッド・ハット作戦特別安全対策要綱』 琉球政府毒ガス事務局【R00004803B】
 毒ガス撤去に際しての作業員、地域住民、報道関係者などへの安全対策プラン

【参考引用文献】

・長元朝浩「知花弾薬庫」『沖縄大百科事典 中巻』 1983年【T00000199B】