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あの日の沖縄

1965年6月11日 読谷村で米軍のトレーラーが落下し小学生死亡

 1965年(昭和40)6月11日、旧読谷飛行場で行われていた米軍の戦場物資パラシュート投下訓練中に、重さ2トン半のトレーラーが読谷村親志の民家そばに落下しました。旧読谷飛行場と民家はわずか500メートルの距離にあり、小学校5年生の女の子が鉄板に載ったトレーラーの下敷きとなって死亡しました。当時、沖縄ではベトナム戦争の激化とともに演習も増えて事故が多発しており、パラシュート投下訓練によって死者が出る最悪の事態となりました。

松岡政保行政主席視察 読谷村親志小型トレーラー落下事件現場 1965年6月12日【0000108769/016667】
松岡行政主席 小波蔵政光副主席 読谷村親志小型トレーラー事件被害者弔問 1965年6月12日【0000108769/016664】

 読谷村、立法院、沖縄人権協会や沖縄子どもを守る会など各種団体が強く抗議し、米軍は村民に対して万全の事故防止策を講じると約束しましたが、翌年には演習中の米軍機から風速測定用角材が落下して民家を直撃する事故を起こしました。


左:読谷村角材落下現場 穴のあいた屋根 1966年【0000108813/028931】
右:小波蔵政光行政副主席視察 読谷角材落下現場 1966年【0000108813/028935】
 
[参考引用文献等]
・福地昿昭「棚原隆子ちゃん事件」『沖縄大百科事典 中巻』(1983年 沖縄タイムス社)【T00000199B】
・読谷村教育委員会『読谷飛行場の早期返還を求めて』(1991年 読谷村)【G00000839B】
・福地曠昭『沖縄における米軍の犯罪』(1995年 同時代社)【T00017723B】
・『沖縄の米軍基地』(2008年 沖縄県知事公室基地対策課)
・読谷バーチャル平和資料館
・琉球新報 1965年6月12日朝刊 「ついに犠牲者出る」