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あの日の沖縄

1945年7月25日 戦後初めての新聞が発行

 この日、現在のうるま市石川で、占領米軍の情報宣伝紙として、ガリ版刷りながら戦後初めての新聞が無料配布されました。第1号に紙名はありませんでしたが、8月1日発行の第2号から『ウルマ新報』と表示されました。(下は第4号の画像)。また、1946年(昭和21)5月26日からは『うるま新報』と、ひらがな表記になりました。


ウルマ新報 1945年8月から1949年12月より【T00019763B】

ウルマ新報社職員『First Anniversary Military Government under U.S.Army Control』より【0000025601】


ウルマ新報社屋跡 2006年(平成18)3月13日撮影
 大規模な民間人収容所があった戦後初期の石川は、米軍への諮問機関として住民代表で構成された沖縄諮詢会が設置されるなど、民政の中心地となっていました。ウルマ新報社は沖縄諮詢会堂跡の近くにありました。写真は戦後の新聞がスタートしたその跡地で、現在は駐車場となっています。
 1947年(昭和22)4月、うるま新報社は民間企業となり、購読も有料化されました。1948年(昭和23)の夏に本社を石川から那覇に移し、1951年(昭和25)9月10日、対日平和条約締結を機に紙名を『琉球新報』と改めました。
 『ウルマ新報』創刊当時の社長は島清。その後、紙名が変遷するなかで、瀬長亀次郎、池宮城秀意、又吉康和らが社長職を引き継いでいきました。