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陪審員の呼出状 

 11月20日(木)、資料の閲覧で来館された塩川浩一(しおかわ・ひろかず)さんに日本復帰前の米国統治下で、米国民政府陪審員についてのお話をうかがうことができました。
 来年2009年には裁判員制度が始まりますが、同じような制度が沖縄で実施されていました。

 当時、沖縄の司法裁判所制度は、琉球列島米国民政府(USCAR)が運営する米国民政府裁判所と琉球政府が運営する琉球政府裁判所(琉球民裁判所)に分かれていました。
 米国民政府裁判所は、広く裁判権を行使できる上、米国の安全等に影響を及ぼすと認める重大な事件を扱うなど強い権限を持っていました。
 この陪審制度は、米国民政府裁判所で導入されていました。

 塩川さんのお話によると、法令に基づいて沖縄に居住している者の中から一定数の人が陪審員として呼び出されて民事事件などの裁判に関わったそうです。
 米国統治下の状況もあって、呼び出しがあると拒否できなかったそうです。貴重な呼出状も拝見させていただきました。
 塩川さんは呼出状は受け取りましたが、日本復帰を迎え実際に参加することはなかったそうです。

陪審制度について

 1963(昭和38)年3月8日、米国民政府布告第8号「米国民政府刑事裁判所」および米国民政府布令第144号「刑法並に訴訟手続法典」の改正第19号により「刑事陪審制度」が導入され、1964(昭和39)年5月21日に布告第9号「米国民政府民事裁判所」が改正され「民事陪審制度」導入されました。この両方の陪審制度は、1972(昭和47)年5月の日本へ施政権が返還されるまで続きました。
【参考引用文献】
・月刊沖縄社『アメリカの沖縄関係法規総覧1』1983年 T00000867B
・月刊沖縄社『アメリカの沖縄関係法規総覧3』1983年 T00000869B
・小沢隆司「アメリカ統治下沖縄の陪審制度-(植民地陪審)の逆転-」『沖縄関係学研究論集 第3号』1997年 沖縄関係学研究会 G00018637B
※文献末尾の10桁は、沖縄県公文書館の資料コード(閲覧請求コード)です。