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あの日の沖縄

【季節の話題・冬】新生活運動―旧正月から新正月へ―

 新しい年の到来を祝う正月行事。沖縄ではもともと旧暦の正月を祝っていましたが、新正月の習慣も広がりました。
 今でも、潮の満ち引きなどと密接に結びついている旧暦を重視する漁村などでは、「旧正月」が盛大に祝われています。各地の漁港では、漁船に大漁旗を掲げ、大漁や航海安全を祈願します。

旧正月 泊港 『宮城悦二郎写真資料 13』 1965年2月8日 【0000096824】

 新正月が主流になった背景のひとつに日本復帰前の「新生活運動」があります。
 1956年(昭和31)4月24日、琉球政府は日常生活を見直し、豊かな生活を築くことを目的に行政主席の諮問機関として新生活運動推進協議会(以下、「協議会」)を設置し、生活改善運動を実施しました。協議会は「新正月一本化運動」に力を入れ、その後、「地域社会の連帯感を高め、自発的な運動を結合させ、県民の主体的参加により住みやすく健全な村・町づくり運動を推進すること」を目的に、冠婚葬祭の簡素化、時間厳守の実行、美しい環境づくりなども重点的に取り組みました。

 1960年(昭和35)、琉球政府文教局が主体となり各地で新生活運動推進者講習会を実施しました。受講者は、各学校長、婦人・青年会長、教育委員、公民館長等といった指導的な立場の人々でした。

 

地域別新生活運動指導者講演会実施要綱『新生活運動指導者講習会 1960年度』【R00098014B

 新生活運動の普及を目的に宣伝カーの巡回や、新正月のしおり及びポスターの配布が行われました。各自治体の協力もあり、新生活運動は少しずつ住民に浸透していきました。

あの町この村 北谷村 役場前 「正月は新正月で」の横断幕 1963年 1月 0000108712/000489

  琉球政府文教局の資料によると、全琉世帯のうち新正月を実施した世帯は、1960年(昭和35)の8.56%から翌年には47%と急増し、地域の指導者育成講習会などの成果が見られます。「特に都市で二重正月をしていたのが一本化になり精神的経済的面からプラスになった」「農村でも実施した所はゆっくりした気分で子供達と共に祝えた」という意見がある一方、「内心は新正月が良いと認めながら旧来の生活習慣の惰性から実施にふみきれない所があった」「指導層の人々がこの運動を進めるにあまり自信を持っていない所もあった」という問題点も指摘されています。琉球政府は断続的に活動を続け、住民が納得し自発的に実践ができるように努力することを以降の対策としました。

新正月実施運動について『社会教育研究発表会資料 1961年度以降 中部連合区教育委員会事務局』【0000139509】

 ライフスタイルとともに、正月のあり方も変化していきました。