沖縄県公文書館 > 沖縄関係資料 > 大田政作文書

沖縄関連資料

大田政作文書

【資料群解説】
  大田政作(おおた・せいさく)<1904(明治37)年-1999(平成11)年8月> は第3代琉球政府行政主席。沖縄自由民主党に所属し、沖縄の戦後復興に尽力しました。国頭村奥間出身。
  大田は早稲田大学法学部在学中、現在の国家公務員上級にあたる高等文官試験で行政科、司法科の両方に合格しました。司法官の道を選び、長崎、那覇、熊本などで勤務して後、1938(昭和13)年、台湾総督府に法院検察官として任官。やがて行政官に転身し、1942(昭和17)年には澎湖(ぼうこ)庁長に就任しました。
  1946(昭和21)年に台湾から引き揚げ、熊本で弁護士を開業していましたが、第2代行政主席の当間重剛らに要請されて、1957(昭和32)年12月に行政副主席に就任。のち行政主席となり、1959(昭和34)年11月11日から1964(昭和39)年10月30日まで在任しました。1959(昭和34)年10月、保守合同で結成した沖縄自由民主党の初代総裁に就任し、与党の支援のもと復興政策を推進しました。
  5年間の在任中、大田は歴代3人の高等弁務官との調整に臨む一方、日本政府や自由民主党との関係強化を重視する態度を示し、日米琉懇話会の設置を提唱、日政援助拡大を図るほか、日琉間マイクロ回線開通にも熱意を注ぎました。
  ドナルド・ブース第2代高等弁務官に続くポール・W・キャラウェイ弁務官は、いわゆる「強権政治」「直接統治」を強め、住民の保守層からも強い反発が起こりました。沖縄自民党内でも、大田の政治姿勢を対米追従的だと批判して脱党者が出るなどの混乱が生じ、1964(昭和39)年6月、大田はキャラウェイに辞表を提出しました。
  その後着任したアルバート・ワトソン弁務官の仲裁もあって沖縄自民党は再合同へ向かい、大田の後任として松岡政保を主席指名しました。しかし、松岡を指名する立法院議会は、主席公選を求める人々の請願行動で紛糾し、警官隊が導入される中で開かれました。

キャラウェイ高等弁務官から感謝状を受け取る大田主席
1964年7月31日
琉球政府関係写真資料028 写真番号007823
大田主席はキャラウェイ高等弁務官に辞表を提出しましたが、次の主席が決まらず留任の状態が続いていました。キャラウェイも4月に本国より7月31日で異動の指示を受けており、沖縄を去る直前、みずから行政主席室まで出向いて感謝状と記念品を贈呈しました。キャラウェイと意見が衝突することも多かった大田は、この時何を思ったのでしょうか。

行政主席就退任式 警察本部武徳殿
1964年10月31日
USCAR広報局写真資料9-5 写真番号 38-42-4(27EⅡ1)
松岡政保が行政主席に任命され、辞表提出から4ヶ月で大田は退任となりました。前列向かって左が、最後のスピーチをする大田。後列右から松岡主席、ワーナー民政官、ワトソン弁務官。

  大田は東京と沖縄で弁護士活動を再開しましたが、1970(昭和45)年3月、自由民主党沖縄県支部(沖縄自民党が移行)連合会長に就任し、政界活動を続けました。晩年は東京で過ごし、1999(平成11)年8月18日、95歳で死去。

  本文書群は、遺族のご厚意により2000(平成12)年8月に当館へ寄贈されたものです。
  副主席・主席として通算7年間、琉球政府行政府の中枢にいた大田。琉球政府を離れてからも、新聞雑誌に積極的に論考を発表し、郷土への思いを訴え続けました。残された文書には、法律と行政のプロフェッショナルとして、また保守政治家としての自負のもと、大田が沖縄の現実に向けたまなざしを感じることができます。

【作成期間】 1931年〜1999年

【シリーズ解説】 大田政作文書は、下記のシリーズにより目録編成しています。

(1) 行政主席時代の文書 キャラウェイ高等弁務官が離任する際に大田に贈った感謝状や、主席退任時にワトソン高等弁務官から送られた書簡も収められている(いずれも写し)。資料年代は1959年~1964年。30件。

(2) 原稿・草稿類 著作『回想録―わが半生の記―』関連資料など。校正刷りや草稿段階の資料が多数を占める。原稿の一部のみが残存する資料もある。資料年代は1960年〜1995年。12件。

(3) 書簡  私信を含む。資料年代は1960年〜1999年。10件。

(4) 辞令・証書類  自由民主党の公認証を含む。資料年代は1964年〜1965年。3件。

(5) 書状類   感謝状類。資料年代は1963年〜1990年。7件。

(6) 台湾関係資料 昭和13年以降日本への引き揚げまで、台湾総督府在職期の資料。詳細な資料年代は特定できていない。8件。

(7)  雑纂  資料年代は1931年〜1966年。3件。

(8)  切り抜き記事  スクラップブックに整理されたものが主。資料年代1967年〜1977年。21件。

(9) 参考資料  資料年代1964年〜1988年。7件。

(10) 沖縄の施政権返還関連文書  沖縄の施政権返還に関する文書。新聞記事や集会関連の資料、手稿など。資料年代は1955年〜1972年。12件。

(11) 弁護士活動関係文書   弁護士業務関連資料。資料年代は1953年〜1969年。9件。

(12) 著作  新聞や雑誌に発表された著作。コピー資料もある。資料年代は1962年〜1969年。6件。

(13) メモ  作成日付は不明。3件。

(14) 政党活動関係文書 大田政作選挙事務所の看板を含む。選挙活動関連の資料など。資料年代は1964年〜1969年。4件。

【公開年月】  2006(平成18)年1月

【主 言 語】  日本語

【数   量】  135件

【資料サンプル】


「施政権返還雑感」PDF
「施政権返還雑感」  資料コード0000063866
1967(昭和42)年9月の三木外相訪米前に、大田が所感を記したもの。
沖縄返還交渉本格化にあたって現地沖縄がどのような態度で臨むべきか論じています。
「各政派各々の主張はあろうが、この際共通の分母を以て対処すべきものと考える。現地が分裂するようではことの成就にマイナスとなろう」
「さて、共通の分母とは!基地の分離論も撤去論も畢竟(ひっきょう)するところ、施政権の返還の要望そのものは共通である」
「基地の撤去が伴わねば、施政権の返還は不要、即ち今のままでよいというのであれば、何をかいわんやである。沖縄基地の存続が、沖縄にとって格別に不利になるなら格別、然らざる以上内外の冷厳な現実を直視し、可能な途を選ぶべきであろう」


「ケネディ新政策の評価と将来の課題」PDF
「ケネディ新政策の評価と将来の課題」  資料コード0000063875
1964年3月20日付けで沖縄自由民主党が発行したパンフレットです。
ケネディ新政策が米国の沖縄統治の基本理念を示したにもかかわらず、沖縄政治の実際面ではその実現を抑制する要素があらわれていると述べて、米軍施政に厳しい評価を与えています。
沖縄住民の強い要望である自治権の拡大についても、「高等弁務官のいわゆる自治権神話説を頂点として、むしろ自治後退という印象を住民に与えている」と明言し、①法案の事前調整廃止、②高等弁務官の職務権限の民政府内部での分掌、③琉球政府への行政権限の大幅委譲などを強く求めました。

【沖縄県公文書館における分類】
沖縄県公文書館資料/その他資料/文書/個人文書/大田政作文書

【資料種別】 文書・刊行物

【利用または複写条件】 一部制限あり

【検索ツール】 沖縄県公文書館資料検索ARCHAS21

【関連資料群】 ・平良幸市文書

【原本/複製】 原本