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沖縄県文書

八重山群島におけるマラリアの予防及び撲滅に関する文書

この資料群は、大正後期から沖縄戦後にかけて八重山郡で取り組まれた、マラリアの予防及び撲滅に関する文書です。(平成23年3月18日)

【シリーズ解説】

八重山諸島では古くから「風気」という風土病があることが知られていましたが、1894年(明治27)に、三浦守治(東京帝国大医科教授 病理学)らの風土病調査グループによって、初めてマラリア原虫が確認され、その風土病がマラリアであることが明らかになりました。沖縄県は、三浦教授らの調査結果に基づき、1896年(明治29)から有病地の住民に特効薬キニーネを配布し患者の治療にあたりました。

沖縄県議会では、1911年(明治44)に「マラリア撲滅法」が可決されました。また、国においては、1919年(大正8)、帝国議会において、我如古楽一郎衆議院議員(風土病調査メンバーであり、調査当時は沖縄県医員)が提出した「沖縄県ニ於ケルマラリア予防撲滅ニ関スル建議案」が可決され、内務省は1920年(大正9)に研究班を八重山へ派遣し、風土病の調査を実施しました。

このような過程を経て、沖縄県では、1921年(大正10)、「マラリア予防班設置規則」(県令40号)が制定され、八重山島庁内にマラリア予防班事務所が設置され、翌1922年(大正11)1月からは本格的な防遏(ぼうあつ)作業が実施されました。

その後沖縄県は、1926年(大正15)、「マラリア予防班設置規則」を廃止し、「マラリア防遏規則」(県令20号)を制定、マラリア予防班事務所をマラリア防遏所と改称しました。同規則に基づいて、八重山郡及び宮古郡をマラリアの流行地域に指定し、予防区域と防遏区域に区分して、マラリアの予防撲滅に取り組みました。また、同時に出された「マラリア防遏所事務規程」(県訓令10号)に基づいて、職務規程の策定や定期血液検査等の防遏作業を実施しました。

去る沖縄戦において、沖縄本島では行政文書のほとんどが焼失してしまいましたが、空襲や戦闘が比較的少なかった離島では、戦禍を免れて残った資料が僅かながらありました。同シリーズは、戦前の沖縄における社会情勢の一端を垣間見ることのできる貴重な資料群です。

【文書類型】

このシリーズには次のような文書が含まれます。

  • (1) マラリアに関する調査及び計画、報告等
    患者統計/脾腫患者調査/マラリア及び誘因による死亡者調査/防遏作業計画/防遏作業実施状況報告
  • (2) 予防投薬関係
    予防注射名簿/治療表/マラリア患者名簿
  • (3) 脾腫検診事務関係
    脾腫検診簿/脾腫患者名簿
  • (4) 有病地住民の採血関係
    採血関係/治療表
  • (5) 薬油並粉末の撒布作業関係
    防蚊駆除作業
  • (6) 部落周辺の籔伐採作業関係
  • (7) 検病調査関係
    検病戸口調査
  • (8) 環境衛生の指導関係
    県民運動実施に関する件/マラリア服薬督励/マラリア防遏教育宣伝
  • (9)国及び県等からの通知関係
【作成期間】 1922-1967年
【数量】 140簿冊
【資料種別】 文書
【公開・非公開】 一部公開
【利用/複写制限】 有/有
【公開年月】 2011年3月
【沖縄県公文書館における分類】 沖縄県資料/沖縄県文書/沖縄県文書(1972)/教育委員会の文書/教育庁文化課とその関連部署の文書/
【参考資料】 「マラリア関係 略年表」(沖縄県公文書館資料コード0000015680)
「マラリア媒介蚊調査事業(地域保健推進特別事業)報告書」(沖縄県公文書館資料コード0000010231)