琉球政府文書

1947年5月11日の「母の日」

5月の第2日曜日は「母の日」です。「沖縄諮詢会、沖縄民政府、沖縄群島政府に関する書類」から、戦後まもない1947年の「母の日」に関する文書を紹介します。

『沖縄民政府当時の軍指令及び一般文書 5-3 1947年』  (R00000481B)のなかに、「「母の日」記念事業開催要目」という文書が綴られています。

これは、「終戦後、心も荒み、道義心頽廃せんとする折柄」に「有意義なる行事として」、沖縄民政府が1947年の5月11日(日曜日)に「母の日」の催しを実施しようとしたものです。

ここでは「母の日」の記念行事として、子どもの側から母に感謝する「報恩の会」と、「感謝される「慈母」」、「教養ある理解ある母」であるために母の側から「母の会」を催すことが計画されています。

前者の「報恩の会」は、子供たちが教室などに母親を招いて歌や踊りを披露したり、家庭でお手伝いをしたりして、お母さんに感謝を伝えるもので、現在の「母の日」でも見られる光景ですが、注目したいのは後者の「母の会」です。

この「母の会」では、学校の先生や村長らによる講演や、子どもの養育や「家庭教育問題」についてお互いに話し合う座談会を行うとよいとしています。そのうえで、お母さんたちに「実行に移して貰いたい」8つの「申合せ事項」が記されており、とりわけ、「二、道義問題のやかましい折柄、子供の道義観を正しく導くこと」に続く、「よく戦果をあげてくる子供のしつけ方を考える」という記述からは、1947年当時、子どもたちがよく「戦果」をあげていた(米軍から物資をかすめとっていた)こと、そうした状況にあって、家庭教育のあり方が模索されていた様子がうかがえます。

 

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