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あの日の沖縄

1971年9月9日 「毒ガス移送」終了 ーあの日の屋良主席―

 1969年(昭和44)7月、美里村(現沖縄市)の知花弾薬庫に1万3千トンの毒ガス兵器が貯蔵されていることが、基地内で起きた毒ガス漏れ事故のスクープをきっかけに明らかになりました。
 ジュネーブ議定書により「窒息性ガス、毒性ガス等の戦争における使用」は禁止されていましたが、その開発、生産および貯蔵までは禁止されておらず、沖縄が米軍の毒ガス兵器の貯蔵場所となっていました。沖縄住民は、毒ガス兵器を沖縄から撤去するよう求めて激しい抗議行動を続けました。
  しかし、毒ガス兵器の撤去はなかなか実現しませんでした。知花弾薬庫から運び出された最後の毒ガス兵器が、具志川市(現うるま市)の天願桟橋に接岸した移送船に積みこまれたのは1971年(昭和46)9月9日、毒ガス兵器の存在発覚から2年余が経過していました。
 毒ガス移送の経過は、下記でご覧ください。
あの日の沖縄 1971年1月13日 第一次毒ガス移送
 この期間、琉球政府は周辺住民の安全を確保するため、「毒ガス撤去対策本部」を設置し、米軍との交渉にあたりました。「毒ガス移送」は2次にわたって実施され、第2次移送は56日間を要しました。
 移送ルートの確定と費用の捻出、住民の安全対策、避難や休業補償措置をはじめ、多くの困難を乗り越えて、屋良朝苗行政主席は「毒ガス移送」最終日を迎えました。この日の日記をご紹介します。

【日記画像】
「屋良朝苗日誌 028 1971年(昭和47年)05月3日~10月9日」より【0000099339】

【翻刻】
九月九日(木)晴
朝六時 出発、風邪 体の調子悪し
七時前に東恩納本部につく
一回 正七時 移送 弁務官も来
て居られた 私の風邪を知り
軍医をよこそうかと云われる それ
には及ばないと辞退したところ
クラーク渉外局長に後でウガイ
薬とのどの薬のアメ玉を送って
下さる、細い心づかい感謝にた
えない 一回を見送り、本部でかり
てある、タタミの間で横になって
休養、九時に二回目、三回目
の間も休養 そこに知花英夫
氏や太田昌知氏、朝夫夫婦
も見える 三回目 これがいよゝ
待ちに待った毒ガス移送最
終回の場面 顧みて感深し
弁務官、高瀬大使、フィアリ
ー民政官、報道人一ぱい この
最後の場面 マスコミの写真
班も大活やく、最終回とあって
大島君等ヤク払いで塩をま
く風景も面はゆい 最終回
の最後の移送車が通過
した時には流石に救われたと
思った 待ちに待った日が遂
に来た 而も無事故で。
沖縄にとり私にとり 行政フ
にとって歴史的瞬間である
最後の車を見送り 記者
諸君に声明書を発表す
る直前 移送車無事天願
桟橋に到着の報道流れる
やれやれと思い 同時に気分を
取り戻し声明を発表す
大島君等対策本部は
全くよくやって呉れた 感謝する
ほんとに画期的な大事業だ
った、ランパート 高瀬大使と私
のコンビだったから出来たと
自負する しかしそれも山中総ム
長官の英断による経費の
本土政フ支出に依って移送を無
事終る事が出来たのだ
難業苦業であった よくぞ
皆協力してくれた 只感謝あるの
み。

毒ガス移送(第2次)を見守る屋良朝苗琉球政府行政主席(右) 高瀬侍郎沖縄復帰準備委員会日本政府代表(中央)
ジェイムズ・B・ランパート琉球列島米国民政府高等弁務官(左) 1971年 9月 9日【0000108850 / 039333】
 「難行苦行」のひとつに、移送道路(米軍基地内)の建設費20万ドルの財源確保がありました。屋良主席は、米軍が責任を負うべき事項だと主張しましたが拒否され、日本政府の山中貞則総理府総務長官を頼りました。加えて道路建設費以外の経費40万ドルも最終的には日本政府が拠出することになり、日記の中で「山中総ム長官の英断による経費の本土政フ支出」とあるのは、このことを指しています。
 しかし日米両政府の間では、道路建設費を日本政府が負担することは移送ルートが決まる前にすでに申し合わせがされていました。1971年(昭和46)4月22日、高瀬日本政府代表とランバート高等弁務官のランチ・ミーティングの記録には、あえてそれを屋良主席に知らせず、米軍に断られた屋良主席がやむなく日本政府に支援を求めるようにさせるという「シナリオ」が確認されていました。
 毒ガス兵器を沖縄から撤去した喜びにひたる屋良主席でしたが、奔走の日々の背後にあった事実が米国公文書に記されています。 

エドワード・オフラハーティ文書「復帰関係 (Reversion) 1603-04: Reversion (Red Hat)」より
高等弁務官発 陸軍省宛 「レッドハット代替道路費負担に関する日本政府のシナリオ」1971年4月22日付【0000099305】
【赤下線部分和訳】
2.(s) 高瀬と、後に吉岡は、高等弁務官に対して、日本政府が道路建設費支出に同意したことを屋良に開示しないという政府の要請を強調した。吉岡は屋良と琉球政府に知らせるタイミングに細心の注意が必要だと念を押し、もし主席が移送ルートを発表する前に日本政府のこの決定が公になるならば、日本政府が屋良と琉球政府に対して代替道路案ⅡAを採択するよう圧力をかけたと非難されるだろうと述べた。