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お知らせ

伊江村移動展ニュース

2月19日(水)から始まった移動展では初日100名余りの方にご来場いただきました。初日来場された方の多くは、戦前から終戦直後の資料に興味を示された印象を受けました。
資料に関する情報もお寄せいただきました。
 
情報をお寄せいただいた中のお一人、宮里豊信(みやざと・とよのぶ)さん(79歳)は、戦前の伊江国民学校時代、米軍上陸、伊江島占領・収容所生活、伊江島住民の渡嘉敷への強制移住、伊江島への帰島(1947年3月)までを、実体験と持参された資料を交えてお話くださいました。
 
ご紹介いただいた資料のひとつ、投降ビラです。
戦争当時、伊江島にいた宮里さん(当時10歳)は、米軍飛行機から大量にまかれたビラを拾い、懐に隠し持ったそうです。この後、宮里さんのご厚意で展示資料に関係する場所をご案内いただきました。ご案内いただいた場所と併せて、公文書館資料をご紹介します。
米軍は、1945年4月16日に伊江島南西のこの付近の海岸から上陸しました。
この道を上がった先に伊江島空港・伊江島補助飛行場があります。米軍は伊江島占領後、この海岸から物資を陸揚げして上まで運んだとのことです。

沖縄侵攻作戦で伊江島の浜に猛然と迫る強襲艇【和訳】 1945年 4月16日 資料コード(CD):0000070746 / 写真番号:113-28-1(1296-344408)

6日間の日米の攻防戦の末、米軍は4月21日に伊江島を占領しました。伊江島の全住民がこの上陸地近くの広場に集められテント暮らしをしたそうです。1つのテントに3家族ほどが入ったとのことでした。


かつて全島民が収容されていた場所

米軍占領後の伊江島の地元民【和訳】 1945年 4月 24日 資料コード(CD):0000070740 / 写真番号:110-39-3
母親達はこの下の海岸で洗濯をし、宮里さんら子ども達はその様子を見ながら遊んだそうです。

米軍監視のもと浜辺で洗濯する捕虜となった伊江島住民【和訳】 1945年 5月18日 資料コード(CD):0000029943 / 写真番号:09-09-2(4566)
その後米軍は、全島民を渡嘉敷島へ強制移住させました。
宮里さんらを乗せた揚陸艇(LCT)は渡嘉敷島へ向かいました。渡嘉敷島上陸の際、日本軍の抵抗があり、米軍が揚陸艇の先端に据えられた機銃を掃射しながら上陸したのを記憶していると話していました。米軍は1945年5月に全島民を渡嘉敷島へ強制移住させた後、本格的に基地建設を行います。
24時間体制で伊江島飛行場の補修・拡張工事を行いました。

「米軍の伊江島飛行場図面(沖縄地区工兵隊文書) Area Allocations Airfield Okinawa」(1945年8月) 資料コード:U00002111B
そのとき大量に使われたのが石灰岩です。米軍は島内のあちこちを採掘し、石灰岩を飛行場に敷き詰めました。

石灰岩採掘現場 1945年 資料コード(CD):0000013373 / 写真番号:14-54-3(A4274)

宮里さんは、米軍撮影写真の採掘場所を特定したいが、採掘場は複数個所有り、現在も採掘場として使用されて地形も変わり特定は難しいと話していました。
次に、西海岸の伊江島灯台に向かいました。
左は米軍演習地に立つ現在の伊江島灯台。右は戦前あった伊江島灯台の写真です。
戦前の伊江島灯台は、1897(明治30)年3月、灯台航路開設に伴い設置されました。高さは約30メートルありました。
宮里さんによると、灯台看守の家族はここから100メートルほど離れた瓦屋根の住宅に暮らしていたそうです。
 
伊江島燈台(右)
『沖縄県人物風景写真帖 1933年7月 仲宗根源和 沖縄県人物風景写真帖刊行会』より 資料コード:T00012628B
 
「発来信綴 伊江島燈台 自明治30年1月至明治30年12月」 資料コード:T00012628B

灯台前のカヤ毛原。ここ一帯に生えるチガヤ(イネ科の多年草)とススキは、昔、茅葺の屋根材料として使用されました。

茅葺屋根の家(キジャカ原の民家)

「軍用地に関する書類 1964年 伊江村関係」 資料コード:R00021434B より
米軍通信施設に支障があるとして、キジャカ原の民家41戸の立退き問題に関する書類。
次に、ニーバンガジュマルを見に行きました。
 
全島民が渡嘉敷島へ移されましたが、日本軍敗戦後も、このガジュマルの木に2人の日本兵が2年間隠れ住んでいました。
その後、島に帰島した住民から日本の敗戦を知らされて木から下りてきたそうです。

戦後、宮里さんはその一人にお会いし話を聞いたところ、夜、木から下りて民家の食料や米軍のゴミ捨て場から缶詰めの残りを集め食いつないだとのことです。
ここからは米軍の動きが確認しやすく、24時間体制で基地建設を行っていたのが分かったそうです。


こちらは先史時代の遺跡です。
海岸近く川平のナガラ原(ばる)第三貝塚です。
昨年の12月17日、ここでゴホウラと呼ばれる貝類の腕輪を付けた女性の人骨が見つかりました。
縄文時代から弥生時代にかけての時代のものとみられるそうです。

現地を見学し、お話をうかがうことで、資料に関する背景を知り、過去のことを現実的なこととして感じることができました。
宮里さん、本日は貴重な時間をつくっていただき、ありがとうございました。


下画像:「伊江島 タッチュー(城山)」 1965年2月 資料コード(CD):0000041412/写真番号:011724

移動展は3月2日(日)まで開催です。
以下は当館職員が会場にいる予定日時です。
よろしければお声がけください。 ご来場お待ちしております。

【当館職員(沖縄県文化振興会職員)の当番日時(予定)】
・2月22日(土)午後1時~5時
・2月23日(日)午前9時~午後3時(午後0時から午後1時を除く)
・3月1日(土)午後1時~5時
・3月2日(日)午前9時~午後5時(午後0時から午後1時を除く)

★移動展の様子は、琉球放送のニュースで紹介されました「RBC THE NEWS ザ・ニュース」>>http://www.rbc.co.jp/rnews.php?itemid=50023

【参考文献】
・伊江村史編集委員会/伊江村『伊江村史 上巻』1980年3月 資料コード:G00014913B
・伊江村史編集委員会/伊江村『伊江村史 下巻』1980年3月 資料コード:G00014907B