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あの日の沖縄

1959年6月30日 宮森小学校ジェット機墜落事故(石川ジェット機事件)

 1959年(昭和34)6月30日、石川市(現うるま市石川)の宮森小学校とその付近の民家に米軍ジェット機が墜落炎上しました。その被害は、死者17名(うち児童11名)、負傷者210名(うち児童156名)、住家17棟、公民館1棟、小学校の3教室を全焼、住家8棟、2教室を半焼する大惨事となりました。
 当時としては世界の航空機史上まれな大事故として内外に報道されました。
 米軍は事故翌日「嘉手納基地所属のジェット機が訓練飛行中に突然爆発、パイロットは無事脱出したが、機体は目標をそれ、市内に落ちた」と発表、次いで7月2日、正式発表として「不可抗力の事故」であると言明し、住民の怒りをかいました。
 立法院では事故当日の本会議中に緊急各派交渉会を開き、米軍に対する抗議決議案を全会一致で決議したほか、7月6日に「石川事件対策特別委員会」を設置しました。また、同日、沖縄教職委員会、沖縄子どもを守る会、沖縄社会福祉協議会などの団体が「石川市ジェット機事件対策協議会」を結成し、被害者への救援運動に加え、米軍に対して救援・防止対策を強く要求しました。

 

1959年6月30日 第14回定例第23号

事故当日に全会一致で可決した「ジェット機墜落事件に関する決議」全文が掲載されています。

1959年7月1日 第14回定例第24号

事故の実情と対応、また今後の計画についての報告がされました。

1959年7月6日 第14回定例第26号

文教社会委員会の罹災状況調査報告では被害現場の見取り図などが添付されました。また、同日、石川事件対策特別委員会設置が決定しました。

事故の負傷者を見舞うブース高等弁務官(コザ中央病院)1959年7月1日【0000112088/39-26-2】

『石川市宮森小学校ジェット機墜落事件関係書類 1959630日事件』 琉球政府法務局庶務課【R00020573B】

ジェット機墜落事件の被害者名、財産損害、その賠償額などの調査結果が記されています。家屋被害で仮設住宅へ収容された被害者もいました。
※この資料は、利用制限すべき個人情報を含むため「一部公開」です。

『石川、宮森小学校ジェット機墜落事故関連映像』 作成:喜納兼三郎【T00002952B】
宮森小学校の事故現場を8ミリフイルムで撮った貴重な映像。不鮮明なところもありますが、次々とヘリで運ばれる生徒たちの姿と米兵のあわたただしい様子が見えます。

TVウィークリー陸軍病院に入院中の宮森小学生(ジェット機事故)』 米国民政府広報局【0000036813】
宮森小学校ジェット機墜落事故後、米陸軍病院(US Army Hospital)に入院し手当を受ける児童が映し出されています。
こちらから一部、ご覧になれます>TVウィークリー 陸軍病院に入院中の宮森小学生(ジェット機事故)