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沖縄観光のあゆみ

 2020年1月21日から6月28日まで、当館展示室で所蔵資料展「沖縄観光のあゆみ」を開催しました。
 沖縄への観光客は年々増え続け、年間の入域観光客数は2018年度に初めて1000万人を突破しました。日本国内だけでなく、東アジアを中心に世界中から人々が訪れる観光地・沖縄。その歴史はどんなふうに始まったのでしょうか。本展は,近代以降の沖縄観光に焦点をあて、当館所蔵資料をご紹介します。

■戦前の沖縄観光
■戦後の沖縄観光
■日本復帰後の沖縄観光

 

■戦前の沖縄観光

 1870年代の「琉球処分」により、沖縄は日本国の一部となり、 人や物の往来が盛んになりました。1884年(明治17)、大阪商船が大阪—那覇を10日で結ぶ木造船を月1回就航するようになり、1924年(大正13)には、3泊4日の直通航路を開設し、 3~4000トン級の大型船が月に5往復するようになりました。1937年(昭和12)から新造船の波上丸・浮島丸が2泊3日で神戸—那覇の運航を開始しました。就航記念の遊覧ツアーとして企画した「沖縄視察団」は、 その後も回を重ね、沖縄観光を促進しました。
 しかし沖縄県庁は、 観光プロモーションに積極的ではなかったようです。当時の沖縄経済の中心はあくまでも、サトウキビを中心とする農業にありました。土産物のような観光商品の開発にしても民間業者が主導し、 観光客の需要に政策的な対応はあまり見られませんでした。
 沖縄観光の動向や感想は、旅行者たちが著した紀行文にみることができます。波上宮、 識名園、 辻、 糸満町、 首里城、 円覚寺、 泡盛醸造場、 桃原農園、 普天間宮、中城城、 万座毛などが主な観光スポットで、 空手演武や古典芸能鑑賞、 闘牛見物も一般的だったようです。

P1 首里城正殿

P2 崇元寺石門

1  琉球新誌 巻上下
 琉球藩設置の翌年に刊行された。新たに日本の版図となった琉球への関心が感じられる。

2  日本名勝地誌 第11編 琉球之部 
 グラビアに多数の風景・人物写真。先島も含めて160以上の名所旧跡名産を紹介し、歴史の叙述も丁寧である。

3  海 第20号
 船旅の魅力を伝える大阪商船の広報紙。

4  沖縄へ 大阪商船
 航路案内の冒頭に「昔ながらの質朴な人情と、奇妙な風俗、外国語のような言葉と、南国特有の燃ゆる情熱が旅人を待ちもうけています」とある。

6  旧都名勝旧蹟案内 沖縄県首里市
 口絵に首里城や園比屋武御嶽、円覚寺等を掲載し、本文で首里市内38か所の名所旧跡の位置や由来を解説。

■戦後の沖縄観光

 戦後の沖縄は1972年(昭和47)まで米国施政権下にありました。日本人であっても、沖縄に渡航するには、日本政府と琉球列島米国民政府が発行する書類が要求され、出入域審査が課されました。
 戦後の混乱がおさまるにつれて、沖縄戦で没した軍人らを追悼する遺族や、知己の軍人の慰霊団が日本から訪ねてくるようになりました。やがて遺族団の規模も大きくなり、那覇市内のホテルや各地の民宿に宿泊し、土産物を購入するなど、観光産業を後押ししました。また沖縄では、通貨が1958 年(昭和33)からドルに切り替わり、輸入税率も低かったことから、高価な外国商品を安く買うことができたため、ショッピング観光も盛んになりました。
 琉球政府は1950年代後半から、観光産業を沖縄の経済自立のカギと位置づけて、取り組みを強化しました。観光業界の組織化と行政の提携、観光課を設置して日本国内に沖縄観光プロモーションを展開しました。さらに1965年(昭和40)、国際的観光機関である太平洋観光協会に琉球政府の加盟が実現し、沖縄は世界的な観光地として十分な魅力があるという意識も高まっていきました。
 とはいえ、宿泊施設、飲食店や土産物、観光施設やアトラクションなどの貧弱さや、観光に携わる人々のマナーの改善が常に指摘され、また観光地でもトイレを始めとした施設が未整備の状態で、琉球政府の課題は山積していました。

P5  瓦礫と化した首里城の城壁

P9  沖縄軍政府のお土産品店

 米軍人を相手に営業許可された土産品店。織物や壺屋焼のシーサーなどが並ぶ。沖縄の工芸品のほかに絵画などの芸術品も、軍政府の管理下で販売された。

P11  普天満宮で記念撮影する米兵

P14  琉球鹿児島間を運行していたおとひめ丸

 おとひめ丸は琉球海運株式会社が貨客船として建造、1966年から鹿児島航路に就航した。

 

P16  出入管理窓口 入国審査

 日本や海外から沖縄に到着した入域者は免疫証明書を提出し、出入管理庁のカウンターで身分証明書に入域印をもらい、さらに入域カードを提出した。続いて税関で荷物検査を受け、手続き完了となる。

P18  Caronia号から下船した世界一周観光団 

 

8  『陸軍保安部指令綴』より
土産品営業ニ関スル件 琉球列島米国軍政本部

 米軍が沖縄民政府の知事に対して米軍人軍属へ土産品を販売する許可を与えるもの。土産品は琉球の物産の宣伝になり、民政府の財源にもなると書いている。しかし価格は米軍の統制下にあった。

11  沖縄渡航のしおり

 日本から沖縄へ渡航するための手続きをわかりやすくまとめている。渡航希望者は各都道府県の窓口で手続きした。このリーフレットは東京都発行のもの。

13  『警乗関係書類 旅具検査』より 
沖縄観光旅行団に対する税関警乗職員の派遣

 那覇税関長から主税局長あて。844人の修学旅行団が船で到着するにあたって、船会社の依頼によりあらかじめ税関職員を同乗させ、観光振興の政府方針にかんがみ、入域手続きを円滑かつ迅速に手続きを完了して好印象を与えたいと述べている。

15  Your guide to OKINAWA 沖縄へどうぞ 渡航手続きと観光案内

 戦後、沖縄の通貨は軍票などが流通したが、1958年からアメリカドルに切り替わった。さらに沖縄では輸入税が低率だったため、日本国内でよりも舶来品が安く購入できた。

16  『慰霊塔関係綴』より 
兵庫県戦没者沖縄慰霊塔建立趣意書
兵庫県戦没者沖縄慰霊塔建立委員会

 慰霊塔建立の許可を求めて作成した趣意書。戦後、さまざまな団体や個人が沖縄各地に慰霊碑を建立し、乱立状態となっていた。1962年、総理府特別地域連絡局長は、沖縄での慰霊碑建立は事前に琉球政府や沖縄遺族連合会、地元市町村と協議するよう通知した。

17  『慰霊塔関係綴』より 
船便利用参列者旅行日程/山形の塔 除幕式および慰霊祭挙行資料

 山形の塔除幕式および慰霊祭に、山形県知事など役職員34人、一般参列者32人の総勢66人が来沖した。旅行日程のほか慰霊祭式次第や渡航者名簿なども添付されている。

P20  松岡政保行政主席訪問 ハワイ観光団 記念撮影

 沖縄からのハワイ移民は、1950年3月に第1回ハワイ観光団として来沖した。里帰り観光の中でもっとも早く、その後もハワイ移民の観光団は多く沖縄を訪れた。沖縄の戦後復興に、ハワイ沖縄移民の果たした役割は大きかった。

P23 南部戦跡の花売り

 南部戦跡の周辺で訪問者を待機する花売り業者の押し売りなどが問題視され、関係団体の取り締まりが実施された。

P25  南部戦跡をめぐる日本政府派遣医師団

 日本政府派遣医師団は、医者の少ない沖縄の事情を考慮し、日本政府と琉球政府の「へき地医師派遣に関する協定」に基づいて派遣された。那覇に到着した医師たちはそれぞれの任地へ出発する前に黎明之塔やひめゆりの塔などを訪れた。

P27  那覇 沖縄ホテル デパート大越ホテル売店

 ショッピングも沖縄観光の目玉だった。舶来品が本土よりも安く購入でき、免税措置もあった。沖縄への渡航に際して制限された持ち出し金額は、当初の200ドルから、1964年に500ドル、1969年に700ドルへと引き上げられ、観光客を惹きつけた。

P29  佐藤栄作総理大臣来沖 那覇 琉球東急ホテル

 琉球東急ホテルは、政府要人の滞在に利用されることが多く、佐藤栄作首相の来沖時にも琉球政府幹部らとの会談場所となった。赤瓦屋根、守礼門を模した入口ゲートに特徴があり、206 室418名収容の規模を有した。

P30 南西航空一番機就航式典 那覇空港  

 南西航空(現・日本トランスオーシャン航空:JTA)は3機で運航を開始した。就航路線は、那覇-石垣・宮古線・久米島線・南大東線、宮古-石垣線、石垣-与那国線の6路線。

P36 那覇空港 飛行機を降りてターミナルビルへ向かう乗客

18 『雑書 1961年』より 南部戦跡地における物売の取締について(依頼)

 

 観光客が増えるとともに、迎える側のマナー改善が求められるようになった。戦跡巡りをする観光客に婦女子学童が押し売りしている様子も琉球政府を悩ませ、関係各位へ対応を求めた。

19 『1963年 観光宣伝に関する書類』より 東京における観光懇談要項 沖縄観光協会

 琉球政府や沖縄観光協会は、観光客の受け入れ態勢見直しのため、東京の旅行斡旋業者や運輸省観光局、南方同胞援護会などの関係者と、懇談会を開いて意見を聴いた。エキゾチックな景観の不足や土産物の価格不均衡、旅館のサービス向上などが指摘された。

20  『1963年観光宣伝に関する書類』より
<観光観念普及事業>沖縄の観光事業 あなたの心でより美しく 観光美化

21 『1963年 観光宣伝に関する書類』より
郷土を美しくする運動について

 琉球政府は、「外人観光客によると、沖縄は魅力的な島ではあるが衛生的でないことが彼らを長く滞在させない原因であると言われます」として、新生活協議会に対して美化運動の協力を求めた。

22 『1963年 観光宣伝に関する書類』より 
市町村に観光事業をすすめる書

 琉球政府は「観光観念普及資料」を発行して観光事業の啓蒙に努めた。この号はアメリカ商務省のガイドブックを翻案したもので、市町村経済の発展のためにどのように観光産業を活用すべきかを説いている。

47-1 『雑書』より 陳情 中城公園園長 高良一

 実業家・高良一が沖縄観光協会会長の大田政作に宛てた手紙。中城城址は米軍の支援のもと、1950年に公園整備が進んだ。高良は「琉球史跡上残された唯一の古城であり、しかも景勝の地であるこの公園を一日も早く名実ともに国際的な観光地に」と述べて財政措置を求めた。

47-2 『雑書』より 陳情 中城公園園長 高良

49 挨拶文 第一陣ブラジル沖縄観光団について ヤビク旅行者

 この資料は、ブラジルから81人の観光団を手配した現地の旅行会社が、沖縄の関係者に便宜供与を依頼した手紙。一行は日本観光とセットで沖縄を訪れ、近親者と再会するなどして滞在を楽しんだ。

51 渡航書類 南西旅行社

 沖縄籍の者が日本渡航する際の乗船案内。パスポートや注射証明書を揃え、出国審査や税関検査を経て鹿児島や大阪、東京へ向かった。1960年代後半には、沖縄から日本への渡航手続きも比較的容易になった。

52-1 沖縄への国際航空路線運航の継続要請書

 日本復帰前、国際線はノースウェスト・トランスワールド・コンチネンタル・中華・日航の5社が週に合計27往復していた。日米の協定により、日本復帰後は2社に減少し、観光に打撃をもたらすと懸念されていた。

52-2 沖縄への国際航空路線運航の継続要請書

55 観光沖縄 沖縄観光の栞 先島版

 「宮古・八重山は今回の戦争で比較的戦禍を免れた所で昔の市街、町村は勿論、自然の景色、有形無形の文化財が残っている。最近沖縄本島を旅行、観光したお客は、昔の沖縄の姿、即ち自然、古文化財等を鑑賞したいとの希望者が多い」というのが先島版刊行のきっかけと序文で述べられている。

63-1 『法令及び例規に関する書類』より 観光課設置の理由

 行政機構審議委員会の審議により、琉球政府に観光課新設が認められたのは1958年。観光振興のためのさまざまな立法整備と円滑な運用のため、観光課の設置は「焦眉の急」とした。実際に経済局に観光課が設置されたのは1961年だった。

63-2 『法令及び例規に関する書類』より 観光課設置の理由

64 那覇の物産

 土産物としての工芸品の産地は多くが那覇に集中していた。パナマ帽など、今となっては懐かしい品々が紹介されている。琉球玩具も当時の名産のひとつ。

65 『観光展に関する書類』より 全九州と琉球の物産展について(報告)

 琉球政府は九州各県の協力のもと、合同開催の物産展に参加、北海道を始め国内各地を巡回して沖縄を紹介した。泡盛、黒糖、パイン、陶器のほか、琉球切手を出品し、芸能も披露した。

69 『公立学校の修学旅行願書』より 修学旅行計画 美里中学校長 上原清真

 校長が教育区教育委員会に提出した修学旅行計画書。中学校の修学旅行日程が添付されている。この例だと、大宜味、国頭、名護、今帰仁、辺野古、金武を2泊3日で回っており、嘉津宇岳の登山などが計画されている。

70 『沖縄観光開発事業団に関する書類』より ドッグレースについて(伺い)

 沖縄観光開発事業団「観光客に娯楽を与えることは極めて必要」として、ドッグレース運営の許可を琉球政府に求めた。琉球政府は、2か月間検討した後、ドッグレースは賭博的行為にあたり、立法がないので認可できないと回答した。

74-1 日本万国博覧会に関する書類 出展構想 九州ブロック分 2

 1970年に大阪で開催された日本万国博覧会で、国内の都道府県を紹介する「地方館」構想があった。沖縄はまだアメリカ施政権下にあったが、琉球政府は沖縄観光のPRにもなると期待して出展参加を申込み、万博事務局から承認を受けた。この間の経緯がわかる簿冊。

74-2 日本万国博覧会に関する書類 出展構想 九州ブロック分 2

 

 ■日本復帰後の沖縄観光

  1972年(昭和47)の日本復帰以降、沖縄への観光客は急激に増加しました。日本から沖縄への入域手続きや日本円の持出し制限がなくなったことや、日本の旅行代理店が団体旅行を企画して積極的に集客したことも要因と考えられます。
 日本政府の「沖縄振興開発計画」も、この流れを大きく加速させました。第一次振計は「余暇生活の充実と観光の開発」を掲げ、観光を沖縄の主要産業と位置づけました。これに基づいて、「沖縄国際海洋博覧会」の開催、「ホテル,旅館,国民宿舎」等の宿泊施設の整備、沖縄自動車道の建設などのインフラ構築を進め、観光産業の基盤を整備していきました。
 1975年(昭和50)、沖縄の日本復帰記念事業として取り組まれた沖縄国際海洋博覧会が、リゾート地・沖縄のイメージを形成したと言えるでしょう。海洋博のテーマは「海-その望ましい未来」でした。これまでの戦跡観光や免税ショッピング観光だけでなく、美しい海と空のもとで観光スポットを見て回る周遊型パターンが現れ、若者や新婚旅行のカップルも急増しました。
 1980年代初頭から航空会社が沖縄キャンペーンを展開し、「リゾート」「マリン・レジャー」「青い空とビーチ」などのイメージを打ち出し、日本国内の他地域と異なる沖縄の魅力をアピールして誘客に成功しました。

P32 沖縄国際海洋博覧会用地調査団視察  調査団を歓迎する住民  本部町

24 『海洋博会場用地選定資料』より 会場選定の基準地域別比較表

 海洋博準備室は、会場の候補地を本部半島、残波岬、糸満地区の3地区に絞り込んだ。自然、用地確保、旅客運送、将来への寄与などの条件を比較検討した結果、本部半島を有力地とした。本部半島の地域開発過疎化対策に役立ち、北部への交通体系拡充整備は沖縄の経済開発に大きく寄与すると考えられた。

25-1 『県出展関係』より 沖縄国際海洋博覧会沖縄県出展構想具体化計画

 沖縄県は、県内財界及び県民から資金を募り「沖縄館」を出展した。赤瓦の屋根やひんぷんを模した噴水で沖縄らしさを演出している。展示は「海やかりゆし」をテーマに、信仰や漁労、美術工芸、終戦直後の生活など8つのセクションで沖縄の歴史と文化を紹介した。

25-2 『県出展関係』より 沖縄国際海洋博覧会沖縄県出展構想具体化計画

28 『海洋博跡利用に関する書類』より 海洋博記念公園整備についての考え方

 沖縄県は、海洋博跡地の会場施設を中核として本部半島に国際的なリゾート・ゾーンを形成し、観光開発の拠点とするとともに、海洋開発研究など各種の研究教育の場として活用をはかることを基本に公園整備を推進することとした。

59 宮古 東京間の定期航空路線開設に関する意見書

 宮古島ではいち早く本格的なジェット機対応空港の整備が進み、東京直行便就航による観光、流通体制強化による農水産業への振興が求められていた。宮古島と東京を結ぶ直行便は、南西航空が1989年に初就航した。

 

 

79 美ら島おきなわ観光宣言

 沖縄戦終結50年にあたる1995年、沖縄県はさまざまな事業を展開した。平和祈念公園に建立された「平和の礎」は、今では多くの観光客が訪れる、文化観光の重要地点となった。この宣言も「豊かな自然と独特の歴史・文化の恵みをいかし、新しい世紀に向けて自立の精神をはぐくみ、寛容と共生の社会をめざす」ことに観光の意義を見出している。

 

80-1 めんそーれ沖縄県民運動推進大会 平成3年3月22日(金)

 「めんそーれ沖縄県民運動推進協議会」は、沖縄県が1989年に設置。県民の観光・コンベンションの意識の高揚を図り、県民一丸で受入体制づくりを推進し、地域社会の活性化と教育文化の振興に寄与することを目的とした。1990年、協議会は沖縄の伝統染織物、文化や自然等をモチーフにしたデザインを用いてイメージアップを図るウェアの名称を募集して「かりゆしウェア」を採択した。

 80-2 めんそーれ沖縄県民運動推進大会 平成3年3月22日(金)

 
番号 展示資料件名 資料年代 出処情報

閲覧用資料
コード等

■戦前の沖縄観光
P1   首里城正殿 1936年10月 河村只雄資料 T00022430B,
5-47-05
P2 崇元寺石門 1936年10月27日 河村只雄資料 T00022430B,
5-47-07
1 琉球新誌 巻上下 1873年刊 大槻文彦 著  0000065055
2 日本名勝地誌 第11編 琉球之部 1901年12月9日刊 田山録彌(花袋)著/博文館(東京) T00008868B
3 海 第20号 1929年8月刊 大阪商船(株) T00005166B
4 沖縄へ 1936年5月 大阪商船(株) T00016083B
6 旧都名勝旧蹟案内 1939年8月15日刊 首里市庁 T00015816B
■戦後の沖縄観光   
P5 瓦礫と化した首里城の城壁 1945年5月 米海兵隊写真資料29 87-23-4
P9 沖縄軍政府のお土産品店 1947年11月22日 占領初期沖縄関係写真資料 陸軍18 04-42-4
P11 普天満宮で記念撮影する米兵 1954年7月20日 占領初期沖縄関係写真資料 陸軍43 08-11-1
P14 琉球鹿児島間を運行していたおとひめ丸 1966年7月20日 琉球政府関係写真資料 069 019364
P16 出入管理窓口 入国審査 1967年9月 琉球政府関係写真資料 091 025634
P18 Caronia号から下船した世界一周観光団 1963年 琉球政府関係写真資料 020 005501
8 『陸軍保安部指令綴』より 土産品営業ニ関スル件 琉球列島米国軍政本部 1947年6月17日付 沖縄民政府知事官房文書課 

R00000446B

11 沖縄渡航のしおり 1962年頃 東京都総務局外事部渡航移住課 0000041545
13 『警乗関係書類 旅具検査』より 沖縄観光旅行団に対する税関警乗職員の派遣 1967年3月14日決裁 琉球政府主税局那覇税関 R00011193B
15 Your guide to OKINAWA 沖縄へどうぞ 渡航手続きと観光案内 1968年 琉球政府経済局観光課 R00070385B
16 『慰霊塔関係綴』より 兵庫県戦没者沖縄慰霊塔建立趣意書 兵庫県戦没者沖縄慰霊塔建立委員会 1963年12月7日 琉球政府厚生局援護課 R00084010B
17 『慰霊塔関係綴』より 船便利用参列者旅行日程/山形の塔 除幕式および慰霊祭挙行資料 1965年2月6日 山形県戦没者沖縄慰霊塔建設期成同盟会 R00084010B
P20 松岡政保行政主席訪問 ハワイ観光団 記念撮影 1966年9月28日 琉球政府関係写真資料 066 018679
P23 南部戦跡の花売り 1961年2月5日 琉球政府関係写真資料 202 056415
P25 南部戦跡をめぐる日本政府派遣医師団 1961年2月5日 琉球政府関係写真資料 172 047992
P27 那覇 沖縄ホテル デパート大越ホテル売店 1961年1月 琉球政府関係写真資料 181 050500
P29 佐藤栄作総理大臣来沖 那覇 琉球東急ホテル 1965年8月 琉球政府関係写真資料 197 054943
P30 南西航空一番機就航式典 那覇空港 1967年7月1日 琉球政府関係写真資料 090 025470
P36 那覇空港 飛行機を降りてターミナルビルへ向かう乗客

1967年7月20日

琉球政府関係写真資料 090 025392
18 『雑書 1961年』より 南部戦跡地における物売の取締について(依頼) 1961年12月 琉球政府経済局観光課企画宣伝係 R00070449B
19 『1963年 観光宣伝に関する書類』より 東京における観光懇談要項 沖縄観光協会 1963年5月 琉球政府経済局観光課 R00070385B
20 『1963年 観光宣伝に関する書類』より <観光観念普及事業>沖縄の観光事業  あなたの心でより美しく 観光美化 1963年頃 琉球政府経済局観光課 R00070385B
21 『1963年 観光宣伝に関する書類』より 郷土を美しくする運動について

1963年8月28日決裁

琉球政府経済局観光課 R00070385B
22 『1963年 観光宣伝に関する書類』より 市町村に観光事業をすすめる書 1963年12月1日発行 琉球政府経済局観光課 R00070385B
47 『雑書』より 陳情 中城公園園長 高良一 1963年1月頃 琉球政府経済局観光課 R00070447B
49 挨拶文 第一陣ブラジル沖縄観光団について ヤビク旅行社 1970年3月12日付 稲嶺一郎文書 0000031838
51 渡航書類 南西旅行社 1969年頃 宮城聰聰文書 0000094152
52 沖縄への国際航空路線運航の継続要請書 1976年5月 稲嶺一郎文書 0000031083
55 観光沖縄 沖縄観光の栞 先島版 1964年6月10日刊 沖縄観光協会 T00003951B
63 『法令及び例規に関する書類』より 観光課設置の理由 1958年5月7日決裁 琉球政府行政主席官房総務課 RDAE005979
64  那覇の物産   那覇市商工観光課  0000024443
65 『観光展に関する書類』より 全九州と琉球の物産展について(報告) 

1963年11月20日付 

琉球政府東京物産斡旋所所長  R00070421B
69

 『公立学校の修学旅行願書』より 修学旅行計画 美里中学校長 上原清真

1968年11月16日 琉球政府文教局管理部義務教育課  R00164080B 
70

『沖縄観光開発事業団に関する書類』より ドッグレースについて(伺い)

1968年9月27日決裁  琉球政府通称産業局商工部観光課 R00070437B 
74 日本万国博覧会に関する書類 出展構想 九州ブロック分 2 1968年

琉球政府通称産業局商工部観光課 

R00070418B 
 ■日本復帰後の沖縄観光
P32 沖縄国際海洋博覧会用地調査団視察 調査団を歓迎する住民 本部町 1972年1月10日 琉球政府関係写真資料 145 040595
24 『海洋博会場用地選定資料』より 会場選定の基準地域別比較表 1972年1月23日 沖縄県沖縄国際海洋博覧会協力局総務課 P00013030B
25 「県出展関係』より 沖縄国際海洋博覧会沖縄県出展構想具体化計画 1973年12月1日  沖縄県総務部沖縄国際海洋博覧会協力局計画調整室  P00013213B 
28 『海洋博跡利用に関する書類』より 海洋博記念公園整備についての考え方 1975年12月 沖縄県企画調整部企画調整室  P00019211B
59 宮古 東京間の定期航空路線開設に関する意見書 1985年3月28日付 沖縄県議会 0000042338
79 美ら島おきなわ観光宣言 1995年10月1日 沖縄県 0000098029
80 めんそーれ沖縄県民運動推進大会 平成3年3月22日(金) 1991年3月22日 沖縄県商工労働部観光指導課 0000112759